昭和五十七年十月八日 朝の御理解


御理解第五十八節 「人が盗人じゃと言うても、乞食じゃと言うても、腹を立ててはならぬ。盗人をしておらねばよし。乞食じゃと言うても、もらいに行かねば乞食ではなし。神がよく見ておる。しっかり信心の帯をせよ」


 叩かれたり、悪口を言われたり、そういう時にいよいよ信心の帯をしっかりしていけとこう。けども、私は、それと反対の時ね、まあ言うならば、褒められたり、おだてられたり、そういう時に、私は調子にのってはならないと思うですね。
 今朝から私は、御祈念中に、栄城と、栄える城という。それに、幹三郎と。これは、私の方の三番目と四番目の息子の名前ですけれども、幹三郎が産まれた時に母が頂きましたのが、あの大御酒徳利を御心眼に頂いたんです。ですからあの、幹三郎と、三番目ですから幹三郎と命名いたしました。栄四郎は四番目ですから、まあ栄える城と、一、二、三、四の四を。けど、今日私が頂きますのは、栄える城とこういう、お城の城です。どういうことだろうかと、こう私は。
 それで、今日の御理解頂いてから、はあ成程こういう時ほど大事にしなければならない時だなとね。人が悪口、まあ今日の御理解で言うと、極端なね、それこそ泥棒だからの乞食だのと、まあ言われる悪言雑言です。言われるね、の時であってもそれにいっちょいっちょまあ腹を立ててはならん。それこそしっかり信心の帯をせよとこう言われる。
 けども、それとは反対の時ね、段々、合楽の場合なら、もう今度御本部参拝をさして頂きましても、もうどこへ参りましても、合楽の先生、合楽の親先生と言うて、私共はもう本当に下にも置かんように、または大広間のあちらの歩いておっても、どこも見知らぬ方達が大変丁重に扱うて下さいます。ハハア、こりゃ合楽も大部有名になったなあと、私も大部偉くなったなあといったようなね、やっぱり気分が悪いことはないですね、大事にされると。
 けども、私はそういう時ほど、こう自重しなければならない時であるね。いよいよ城が栄える。「徳積みて栄える家や菊の花」といったような御理解頂いたことがありましたがね。もういよいよ、親の代よりも子の代、子の代よりも孫の代と、まあ繁昌のおかげを頂きたいと思いますね。
 ところが、家が栄えていくけれども、喜びの方はそれに伴っていかないといったようなことがあったら、やはり恐いと思うです。今日はそういうことを、今日頂いたと思うんです。栄える城、栄城。これにはもう絶対栄えて行くにしたがって、幹三郎である。いわゆる、「有難き、勿体なき、恐れ多き」と言われるこの御酒がそれに伴のうて、やはり信心の喜びというものが伴のうて行きよらないと恐いということになるのじゃないでしょうかね。皆さん、どうでも一つお徳を受けてね、もうそれこそ「栄える家や菊の花」というように栄えていく私。親の代よりも子の代と栄えて行くおかげを願っておりますがね。
 そこでいわゆる信心の継承でありますね、いわゆる信心の、言うならば頂いておるおかげを継承していかなきゃならん。そういう時の一つの心得、心がけとしてですね。おだてられるような、褒めちぎられるようなね。そういう時ほどしっかり信心の帯をせよと私は頂いてもおかんならん。また教えてもおかなけりゃならんというふうに思いますですね。
 今日は、幹三郎と栄城ということを頂いてそれを思います。今日の御理解ね。人が泥棒じゃの、乞食じゃのと、また悪口を言うような時、しっかり信心の帯をしなければならないような時、それとは反対にね、それこそおだてられたり、ほめられたりする時に、そういう時ほどしっかり信心の帯をしなきゃいけないよと。信心の帯をしっかりしていくことによって、信心の喜び、いわゆる有難き、恐れ多き、勿体なき、本当に勿体ないことだというおみきを、御酒が頂けます。この御酒がね、こうはずれたものになってまいりますとね、まあおかげ落とす元になるね。褒められたり、おだてられたりする時に、しっかり信心の帯をせよと今日は教えて下さったように思います。
 どうでも一つ、まあ皆からも褒めちぎられるようにね。または、おだてられるくらいなおかげは、やっぱり頂きたいけれどもね。そういう時にね、調子に乗り過ぎらんように、いよいよ信心の帯をしっかりしなければならない時だというようなことを、よく信心の腹の底に置いておかないといけないというふうに思いますね。
どうぞ。